代表の生い立ち

無垢材を取扱う木造注文建築の工務店にて8年間の修行を経て、27歳で原点である菊井工務店を創業。
大工棟梁であり建築士として、新築350棟、リフォーム1500棟以上の現場の施工に携わってきました。
直接自分の手で触ってきたので、現場のことを熟知しています。そんな私のリフォームにかける想いを、生い立ちを振り返りながらご紹介します。

野球詰めだった少年期

私は幼いころ、プロ野球選手になることが夢でした。 毎日野球の練習に明け暮れ、ずっと野球詰めの生活を送っていました。家族も、そんな私を応援してくれていました。

小学生の頃、枚方市に住んでいた私は「キングシャイアンス」という少年野球チームで、全国大会や近畿大会出場など、とても貴重な経験をさせて頂きました。

中学生となり、堺市美原区に引越し後は、「オール美原」に在籍し、関西選手権に出場。
キャプテンとしてチームの仲間と1つの目標に向かって最高のプレーをすること…
とにかく野球が大好きでした!

しかしある時、怪我がきっかけでそれまでのような活躍をすることができなくなり、甲子園への夢を断念せざるを得なくなりました。
それまで野球一筋だった私は無気力のまま、野球をやめ、野球の強豪校ではなく、公立高校に入ることになりました。

「大工」との出会い

高校でも目指すものが決まらず、とりあえず大学へ進学をしようと浪人していた時、野球をしていた頃の友人が「たまには体を動かそうぜ」とアルバイトに誘ってくれました。
その友人の父親が、屋根や外壁工事の職人さんでした。

そこで、雨樋をかけたり、壁のサイディングを貼ったりするアルバイトをはじめたことが、私と「大工」との出会いの始まりでした。

そのアルバイトの最中に気付いたのは、大工という存在の大きさでした。
現場では、大工以外にも様々な専門の職人が集まって家を建てていました。そんな中、たくさんの職人たちが、「大工さん、●●でいいですか?」「大工さん、●●をお願いします」と、大工に指示を仰いだり、作業の確認をしていたのです。

この時私は、大工ってすごいんだ、家を建てる中心人物なんだと、知りました。

その日の昼休みに、現場にいた棟梁に直接、大工の仕事を聞きに行きました。年配の棟梁でしたが、何も知らない自分に図面を見せて、説明をしてくれました。かんなをかける姿に憧れた事が、今でも胸に残っています。

これがプロ野球選手の次に見つけた、夢――、なりたい仕事との出会いでした。

大工になる!

「大工になる!」
そう決意したはいいが、予備校にも通わせてもらっている身で、「今から大工を目指すのか」と、家族にも迷惑かけてしまいましたが、そこで私の背中を押してくれたのは父でした。

『やりたいならやってみろ、代わりに「やめたい」とか言うなよ』と、味方をしてくれました。
やるしかない、と気合を入れて、思い切って予備校をやめ、大工修行をスタートしました。19歳の冬でした。

どうしたら大工になれるのかと、工務店の社長をしていた少年野球チームの監督に相談に行きました。

監督は「健太郎、じゃあうちにおいで」と言ってくれましたが、知り合いだからと甘えたくありませんでした。自分を成長させる環境を作りたかったのです。 そんな私に「だったら、注文建築をやってる厳しい親方につくといい」と、監督はアドバイスをくれました。

そこで私は、大阪中の工務店さんを探し回りました。
15社〜20社ほどは行ったでしょうか。「この人に学びたい!」という親方をようやく見つけました。

修行時代、そして独立!

しかし、その親方はとても頑固な職人気質で、「あんた、帰り」「今の若いもんには大工できないよ」となかなか弟子にしてくれませんでした。

2回断られ、それでもめげず3回断られ、それを見かねた工務店の社長にも応援してもらい、なんとか親方に弟子入りしました。それから8年、1番弟子として修行に励みました。

そして27歳で独立し、棟梁になりました。 最初は若いからと信用してもらえませんでしたが、真剣に、丁寧に、仕事に向き合い、現場に向き合い続けたことで、大手の住宅ビルダーさんより高評価(社長賞)をもらうことができました。

仕事が軌道に乗ると、自分一人では対応しきれず、お断りしないといけないようなことが増えてきました。
「菊井健太郎がもう一人必要だ!」それが職人や弟子を増やすきっかけでした。

30歳ではじめて弟子をとりました。職人は少しずつ増え、35歳の時には5~6人に増えていました。

大工になった時から、テーマは『家づくりは夢創り』。大工は夢をつくる仕事である。

『夢のマイホームを建てよう』
つまり、『家をつくる=夢をつくる』ということです。


マイホームを建てることなんて、人生でそう何回もあることではないはずです。だからこそ現場に関わる職人たちには、人の夢をつくる仕事だという意識をもって頑張ってもらっています。

そして、『夢のマイホーム』にお客様がより長く快適に住み続けられるように、 リフォーム専門店であるリフォームパークスを立ち上げました。
私はこれからも、夢創りに全力で取り組んでまいります。

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